南箕輪村の人口増についての考察23「水が無くて開発が遅れた&不毛の大地を切り開いた先人たち」

人口増の村

南箕輪村の人口増の理由について、考察しています。

第23回のテーマは「水が無くて開発が遅れた&不毛の大地を切り開いた先人たち」です。

水が無かった

南箕輪村には、生活に必要な水が無かったエリアがあり、その理由は地形に由来しています。

南箕輪村は伊那盆地(伊那谷)が最も開けたところに位置しています。

南箕輪村誌
引用:南箕輪村誌(定価2,500円、在庫多数あり!)

地元では伊那盆地と呼ばれず、伊那谷(いなだに)と呼ばれています。

なぜ、そう呼ばれているのか。それは盆地というよりかは、と表現した方が適切な地形だからです。

東に北岳(3,193m:富士山の次に高い)や間ノ岳(3,189m:富士山の次の次に高い)などの南アルプス、西に中央アルプスに囲まれていますので、平坦な盆地というよりかは、谷みたいな地形になっているのは想像しやすいかと思います。

その恩恵と言うべきか、眺望は本当に最高で、日本一周された仁科勝介さんのサイトでも、印象深かったシーンとして紹介されています。

↓この写真素晴らしいので、ぜひタップ(クリック)して大画面で見てください。

https://katsuo247.jp/wp-content/uploads/2018/08/DSC_5082.jpg

旅先で特に印象に残っている風景として挙げた「夏の入道雲」/画像はすべて仁科勝介(かつお)さん提供 - KAI-YOU
日本全国の全1741市町村を原付バイクで訪れ、それぞれの場所で写真を撮影したという仁科勝介(かつお)さんの旅の様子をまとめたWebサイト「ふるさとの手帳」が話題になっています。発端は、仁科さんの大学の先輩だというあずまさんがTwitterで言及したこと。「...

さて、水が無かった話に戻ります。

扇状地に開けた南箕輪村

南箕輪村は扇状地に開けた村です。

左が南、右が北になっています。

扇状地

扇状地とは

山地を流れる河川が運搬した砂礫が、谷口を頂点として扇状に堆積した地形である。(中略)扇状地を形成している堆積物は大小さまざまな大きさの礫を多く含んでおり、大変水を通し易い。そのため、扇央部では河川の水のかなりの部分が地下へと浸透してしまい、地下水となる。この結果、扇央部にある地上の河川の流量は減り、場合によっては水を失い、地上の川が水無川となることもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E7%8A%B6%E5%9C%B0

扇状地では、水が地下に浸透してしまい、地表では水が無くなり、川が無くなってしまうこともあるそうで、南箕輪村を東西に流れる大泉川が途中で途切れている話は地元では有名です。

最大600mの堆積

引用:南箕輪村自然環境調査報告書_南箕輪村の地形・地質

東西が逆なのでちょっと分かりづらいですが、この断面図の塗りつぶしてあるところが、元々の地面で、ロープのようにかかっているのが、今現在の地面となっています。

一番西側(右側)をみてみると、600mも水が浸透しやすい土壌があることで水が浸透し、地表から水が無くなってしまいやすくなっています。

浸透した水は東側から出てくるため、ワサビの栽培などが、南箕輪村の中でも行われております。

さらに、この堆積している土壌は御岳山の噴火による軽石層であり、その上に土石流が運搬された形で、むちゃくちゃ透水性が高いということも分かりました。ダブルパンチです。あちゃー。

そう。この図から分かることは、西側の地域ほど水が無いということです。

南箕輪村で一番人口増加率の高い南原地区は、村の南西に位置し、水量が比較的多い大泉川からも離れており(その大泉川でも途中で途切れていた)、その後の西天竜一貫水路の恩恵も受けれず、水が無くて開発が遅れた地域だったことが分かりました。

現在視点で振り返ると、水が無くて住めなかったので開発が遅れたが、水の問題が解決された昭和40年以降は、ロケーションが良く周辺と比較して土地の価格がリーズナブルだったため、人口が増えた。

そんな感じでしょうか。

それでは水が無くて住めなかった地域が、どのように住める地域に変わっていったのでしょうか。

不毛の大地を切り開いた先人たち

木曽から水路を引いた(明治8年)

北沢川から水を引こうと交渉したが、小沢や山寺などの村々に水利権があって難しかったため、木曽の奈良井川支流の白川から権兵衛峠を越えて、北沢の支流に落とすことで、水量が増えるから、水をもらうという奇抜な方法で水を得た。

木曽からの水路「木曽山井筋」は12Kmにもわたり、幾多の困難と犠牲の上に完成した。この水で22.5ヘクタールの水田を潤すことができた。この水路は為替水(かわせみず)とも呼ばれている。

考察)木曽としても稲作に適した環境である伊那谷側に水を提供することで、米の輸入に繋がると考えていたのでは?

横井戸を掘った

横井戸を掘って水を求めることもしたが、成功させるには相当の技術や資産が必要であったため、破産した人も結構いた。

西天竜一貫水路を整備した

伊那谷を南北に流れる天竜川には羨ましいくらいの水が流れているため、それを利用できないかと考えた。

多数の利権との調整や多額の費用、技術力など様々なハードルを乗り越えて、1928年に西天竜一貫水路が完成した。

現在も村のいたるところに見られる、水を均等に振り分ける「円筒分水」は、写真撮影のスポットにもなっている。

井戸を掘った(南原地域)

西天竜一貫水路の恩恵を授かれず、南原地域は飲用の水も皆無で、一番最後まで人が住めないエリアだった。

昭和22年に、1ヶ月かけて15間(27.3m)の井戸を掘ったところ、地下水脈を掘り当て、飲用水を確保することができた。

昭和34年に、大型井戸設置のため井戸を掘ったが、残念ながら水が出ず失敗した。

昭和40-42年に、地下100mまで掘ったところ、水が溢れ出たため、完全な水道施設を作ることができた。

最後に

今回の考察については「南原の歴史と開拓(越後幸益)」を元に実施いたしました。貴重な資料をありがとうございました。

なお、内容について本当はもっと深い内容となりますが、人口増の考察とは直結しないので、ここでは簡略化して記載しています。

2020年1月22日 文責 藤城

2021年1月20日 追記 藤城

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