南箕輪村の人口増について考察しています。
考察4「先人の恩恵 信州大学農学部と大芝高原そして盛んな製造業」
信州大学農学部キャンパス
南箕輪村は日本の村の中で唯一国立大学のキャンパスがある自治体です。(2024年11月現在)
国立信州大学の農学部キャンパスがあることで、毎年約200名弱の大学生が新たにやってきてキャンパスライフを送っています。
1年生から4年生まで合計すれば750名程度となり、そこに大学院生まで加わると、全体で900名程度の若者が来村してくれていることになります。
ただ、「学生が来るから単純に人口増だね」っていう単純な話ではありません。卒業したらいなくなってしまうことが前提だからです。
学生の出身地
さて、信州大学農学部に通う学生たちの出身地はどこが多いのでしょうか。
大学パンフレットを見てみると、1年生から4年生の学生数は合計で735名程度であり、それぞれの出身地の内訳についても分かります。
円グラフをみてみると、関東・甲信越や東海・北陸など近いエリアから来ている学生さんが多いです。
それでも、皆さん通える距離ではないので、大学周辺に下宿する形となります。
4年間の移住体験ツアー
大学周辺に下宿して4年間のキャンパスライフを送る大学生たち。これは見方を変えると、「4年間移住体験ツアーをしている」と考えることができます。
「関係人口」にも位置付けられると思います。
「信州大学でキャンパスライフを送って南箕輪村がとても気に入ったから」
そんな理由で村に住み続ける方が結構いらっしゃいます。
実は175人しかいない南箕輪村役場の職員さんでも、信州大学農学部出身の方がチラホラいます。
1年間に180人程度が4年間の移住体験ツアーを自動的に始める仕組みがある、と改めて考えると、人口増という観点において信州大学がある価値は改めてとっても大きいと実感できます。
費用の面でも、行政が移住体験ツアーをゼロから企画した場合、多大なコストが発生するほか、参加者の希望する内容とミスマッチが発生して、無駄な企画になってしまう恐れもあります。
信州大学の学生のみなさんは、自ら費用を負担してもらえる訳で・・・(南箕輪村に住むためではないですが)そう考えると大変有難い仕組みです。
村に国立大学がある理由
なぜ、山麓の南箕輪村に、国立大学が存在するのでしょうか。
その理由について、上伊那教育会の研究会によると下記のとおりです。
上伊那農業高校(以下、上農高校という)の村上校長先生が農業促進のため、指導者育成を理念に揚げた。
上農高校は5年生だった。学生は小規模寮に入る塾風教育(大正後期から昭和初期にかけて農村に設けられた塾の形態による教育。農村不況対策としての農村中堅人物の育成を目的とし,人格的感化と勤労による精神訓練を重視した。)をしていた。
1943年に4年生に短縮されレベルダウンになった。
1945年に上農高校50周年記念事業として、農林専門学校の設立が企画された。
地元協力の元、多額の寄付を受け、県内での競争に打ち勝ち、農林専門学校併設の権利をGET!高等農林学校が国策として設立認可!(戦場に米や農産物を供給するため)
1947年に中の原に校舎竣工
1948年に信州大学設置認可申請(ただ、当初は独立大学として申請したが、不認可となり、信州大学に参加の形となった)
1949年5月 新生信州大学発足!農学部も南箕輪村でスタート!!
上伊那農業高校が南箕輪村と関係が深かったことが、国立大学の誘致につながった歴史であることが分かりました。
先人による広大な土地の寄附
信州大学誘致にあたり、先人の皆様が広大な土地を寄付した経緯があったことを忘れてはなりません。
先の経緯もありましたが、やはり土地が寄付により提供されたことは大きな要因であったと推測されます。
なお名称について、残念ながら10年ほど前までは南箕輪キャンパスでしたが、今は伊那キャンパスに改称されました。設立当時に多大な寄付を受けていたことが月日の経過で忘れ去られ、このような改称という結果になってしまったことは大変残念です。
その他にも
- 大学内に地域貢献するサークルがある
- 飲み屋(バイトの方も)に若い学生が多い
- お祭りを盛り上げていただいている
など、若い学生がいることでポジティブな要素はたくさんあります。南箕輪村がいつまでも元気なむらであるためには、信州大学の存在は外せません!
大芝高原
南箕輪村には、村だけでなく地域住民のみなさんによりこよなく愛されている大芝高原があります。
南箕輪村には大芝高原ほどの地域資源は他になく、また面積も小さいため、村の投資は大芝高原を中心に行われています。
130年前は大芝原
現在は人工林によるコミュニティの森林が形成されている大芝高原ですが、130年前に先人のみなさんが植樹を始めるまでは、はらっぱでありました。
<ここに150周年の記念映像を後程アップします>
大芝高原の施設
広さが約100haある大芝高原にはたくさんの施設があります。
大芝の湯(日帰り温泉)、味工房、カフェ、ピザ屋さん、野球場、総合運動場、屋内運動場、多目的運動場、マレットゴルフ場、セラピーロード(無料)、大芝湖、アスレチック(無料)、遊具(幼児用、子ども用)、キャンプ場、焼肉ハウス、コテージ(BESS)、足湯、防災研修センター、テニスコート、足つぼロード、芝生広場などなど。
毎年5月にはバーティカルリミット、毎年10月にはイルミネーションフェスティバルも開催されています。
複合に複合を重ねた施設で、東京ディズニーランドとディズニーシーを足したほどの十分な広さがあります。
私の大芝高原
「大芝高原の魅力は何ですか?」
南箕輪村に移住した時に、採用面接で最後に問われた質問ですが、私は上手く答えることができませんでした。
答えられなかった原因として、一般的に高原と言えば八ヶ岳、霧ヶ峰、那須高原などの有名スポットが頭の中に思い浮かんでしまい、安易にそこと比較してしまったことと、高原=素晴らしい景色が見れると言う、私の勝手な認識があったためと考えています。
大芝高原は高原だけあって、眺望が悪いロケーションではないのですが、自慢であるアカマツが大きく成長しているため、素晴らしい景色をみることは出来ません。
そのような中、大芝高原の魅力に通じる感覚として、村に移住して1年半で気づいたことがあります。それは、「なんか大芝高原が好きになってきた」ということです。
生活圏と非常に近い場所に充実した地域資源であるというのは意外とめずらしい状態であり、そのことが大芝高原を好きになる、さらに述べると「私の大芝高原」のように感じていただける方が多いのではないかと思います。
村のどこに住んでいても車であれば5分から10分の距離にあるこの大芝高原は、村民にとって自分の庭みたいな感覚になるんだと思います。
合併反対の理由にも
平成の大合併の時にも、この大芝高原を他にとられたくないと言う想いから、市町村合併に反対した方も多くいらっしゃったと聞いています。
大芝高原が地元にあるから
家族のお出掛けは、村だけでなく上伊那や木曽など、色々な公園に遊びに行きます。
ロング滑り台がある宮田村だったり、おもしろ自転車がある岡谷市だったり、たくさん遊具がある伊那市だったり、子どもたちはどこに連れていっても大喜びで遊びますが、頻繁に「大芝高原に行きたい!」ということが多いです。
大芝高原があるからこそ、他の公園に行った時に「ウチの村にもあったらいいなぁ」的な感情にならないことは定住の意味で意外と大きいです。
結論として、大芝高原は村を愛する象徴であり、そして定住要因の一つなのかなと思います。
盛んな製造業
先人の皆さんがいち早く第二次産業に参入したこと、1976年に中央自動車道の伊那インターチェンジが完成したことなどを契機として、南箕輪村は電子関係や精密機器関係、そしてIT関連企業が多く立地するようになりました。
現在も南箕輪村には、製造業を中心に、工場が多数存在し、工業団地にも大きな企業が入っており、南箕輪村を含む上伊那全体の売上の50%以上は第二次産業によるものとなっています。
その結果、若年層の特に理系の学生向きの就労の場が十分に確保されるようになり、さらに近年は女性の就職にも力をいれていただいています。
産業別就業人口
産業別就業人口を見てみると、第3次産業が増えていますが、第2次産業も引き続き大きなウエイトを占めています。
村内には商店街がありませんし、食堂やレストランの数も限られています。隣の伊那市が人口と比較して飲食店等が多いなど、サービス業が充実しているエリアであることも要因かと思います。
なお、インターチェンジ前には大型スーパーが並んでいるほか、北の箕輪町との境や南の伊那市との境には、大型スーパー等商業施設が集中しており、買い物に困る環境ではありません。
考察4は以上です。考察5は下記よりご覧ください。
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