2025年8月5日から6日にかけて、希望する村内の小中学生(小学生は保護者同伴)を対象に、広島を訪問し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて学ぶ「広島平和学習」を、南箕輪村として初めて実施しました。

実施の経緯
2025年は戦後80年という節目の年にあたります。戦争を実際に体験された方から直接お話を伺う機会は年々減少しており、今後さらに少なくなっていきます。
そうした中で、戦後80年を一つの契機とし、本村でも「広島平和学習」を新たに開始することにいたしました。この取り組みは、2025年以降も毎年継続して実施していく予定です。
体験と学び
8月5日
広島平和記念資料館の見学、原爆ドームや平和記念公園をガイドの皆さんと見学
8月6日
広島平和記念式典への参加、第1回全国こども平和サミットへの参加
行程
南箕輪村から広島市までを2日間で往復するため、行程は非常に厳しいものとなっています。さらに、大変暑い時期での実施となるため、熱中症対策などの健康管理にも十分な配慮が求められる行事です。
村を朝4時30分にバスで出発し、広島市に到着するのは午後2時ごろと、およそ10時間の移動となります。帰りも南箕輪村に到着したのは23時ごろとなっており、往復では約20時間におよぶ長時間移動の強行日程です。
広島平和記念資料館の見学
1日目の午後2時10分ごろから3時20分まで、広島平和記念資料館の見学を各自で行いました。
通常であれば十分な見学時間ではありますが、当日は大変混雑しており、すべての展示をじっくり見ることはできませんでした。特に、館内が入り組んでいて通路が狭くなっている2階の渡り廊下以降のエリアは、混雑のために気分が悪くなってしまうほどの状況でした。
一方で、本館の2階から1階にかけては比較的スペースが広く、落ち着いて見学することができました。1階の特別展示では、2階の混雑したエリアと同様の写真などが多数展示されており、補完的に見学することができました。
地下の展示エリアは比較的人が少なく、体験者による講話を出入り自由で拝聴できたほか、図書館へとつながる廊下では、原子爆弾が投下される前後の広島市の様子がパネルで展示されており、ゆっくりと見学することができました。


また、図書館内では『はだしのゲン』の原画展も開催されており、貴重な資料を見る機会となりました。
原爆ドームや平和記念公園の見学
午後3時30分から4時30分までの1時間、原爆ドームや平和記念公園の見学を行いました。
南箕輪村からの見学者は3つのグループに分かれ、それぞれガイドの方にご案内いただきながら見学しました。
私たちのグループは、まず原爆死没者慰霊碑(献花台)を訪れ、その後、平和の灯、レストハウス、原爆の子の像、原爆供養塔、平和の鐘、そして原爆ドームの順に巡りました。
各施設については、ガイドの方から丁寧な説明をいただきました。たとえば、慰霊碑は御影石でつくられていること、平和の灯は1964年の点火以来一度も消されたことがなく、核兵器が世界からなくなる日まで灯され続けることになっていること、レストハウスでは被爆当時、地下にいた1人だけが生存したこと、原爆供養塔には7万を超える遺骨が納められているものの、そのうち身元が判明しているのは約700体にとどまることなどを学びました。
また、平和の鐘は小中学生全員で鳴らす体験をさせていただきました。原爆ドームでは、レンガの白く見える部分が接着剤による補修であることなど、普段は気づきにくい点も教えていただきました。

大変暑い中での見学となりましたが、長時間の移動で疲れていた小中学生にとって、1時間という時間設定は無理のない適切なものであったと感じます。
広島平和記念式典
2日目は、広島平和記念式典への参加にあたり、午前5時50分に集合して朝食をとり、6時30分には広島駅へ徒歩で移動しました。6時49分発の路面電車に乗車し、袋町で下車した後、式典会場へ向かいました。
会場に入る際には手荷物検査などの関係で、午前7時15分から8時5分までの約50分間、強い日差しの中で長時間列に並んで待つ必要がありました。
そのため、式典は広島市長による式辞の途中からの参加となりました。
- 開式(8時00分)
- 原爆死没者名簿奉納(8時00分)
- 式辞(8時03分)
- 献花(8時08分)
- 黙とう・平和の鐘(8時15分)
- 平和宣言(8時16分)
- 放鳩
- 平和への誓い(8時24分)
- あいさつ(8時29分)
- ひろしま平和の歌(8時46分)
- 閉式(8時50分)

あいさつは、内閣総理大臣や国連からもありましたが、私にとっては、広島県知事の挨拶が最も印象に残りました。
このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。
課題として、式典開始の約1時間前から列に並んでいたにもかかわらず、開始時には着席できなかったことが挙げられます。このことから、出発時間の前倒しが必要と感じました。また入場時の検査体制のさらなる充実が求められると感じました。
また、式典会場にはテントが敷設され、扇風機も設置されてはいるものの、その風はほとんど届かず、大変蒸し暑い環境での参加となりました。この点については、参加者自身による冷涼グッズの準備や暑さ対策を万全にしておくことの重要性を実感しました。
第1回全国こども平和サミット
「ヒロシマ平和学習受入プログラム」の一つである「第1回全国こども平和サミット」は、全国から参加する子どもたちが平和への思いを共有し、その思いを“平和の種”としてそれぞれの地域に持ち帰ってもらうことを目的とし、国際会議場フェニックス・ホールにて開催されました。
「ヒロシマの心を世界に」という看板のもと、約1,500人収容のホールはほぼ満席となり、盛大に開催されました。
当日は、国連からのメッセージに始まり、VR映像による被爆体験の再現、被爆体験者ご本人による語り、朗読会による平和活動の紹介と朗読、さらには全国各地から参加した子どもたちによる発表など、多彩なプログラムが行われました。

国連からのメッセージ
国連からメッセージでは、平和に対して、平和ってなんだろう、私は何ができるのかなど、3つの問いかけがありました。
VR映像による被曝体験
VR映像による被曝体験の再現では、映像のクオリティは、20年ほど前のオープンワールドRPGゲームを思わせるものでした。
しかし、商業目的ではなく収益も見込みづらい中で、ここまでの映像表現を実現されたことに対しては実情は存じ上げませんが、よい試みと感じました。
被爆体験者ご本人による語り
被爆体験者ご本人による語りは、多くの小中学生にとって大変貴重な経験となったと感じます。
ホールという落ち着いた空間で、被爆者ご本人の声に耳を傾ける時間は、心に深く響くものがありました。
印象に残ったお話として、「被爆の瞬間は『ピカーッ、ドン』と言われることが多いが、爆心地から1.8km離れた場所では『ピカーッ…ドォワォォン』というような音だった」と語られたことや、「当時6歳だった自分に向かって、水をくれ、水をくれと叫ぶ人々の声が、今も耳に残っている」とのお話がありました。
そして、最後に語られた
「みたじ 許すまじ 原爆を 世界の町に」
という言葉は、特に強く心に刻まれました。
朗読会
朗読会では、被爆体験者による体験記が約15万編あることが紹介され、その中からいくつかの朗読が行われました。
そして最後には、会場全体で次の詩を声に出して音読しました。
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
なお、この朗読会は、全国の小中学校を対象に、無償で訪問活動を行っているとのことでした。
お楽しみ
お楽しみの要素は多くありませんが、1日目の夕食には、皆さんで広島名物のお好み焼きをいただきました。
初めて食べるというお子さんも多く、貴重な体験となったようです。ごちそうさまでした。
村民報告会
今後、まとめの会を経て、広島平和学習で学びそして吸収したことを、参加者の声として村民の皆様へお届けする報告会を予定しています。改めて告知してまいりますので、ぜひご参加ください。
