近年、自然災害が激甚化、頻発化しています。
南箕輪村でも1時間に50mm以上の雨量を記録するなど、自然災害の恐れが高まっています。

南箕輪村は扇状地に位置しており、東へ行くほど標高が低くなるという地形的な特徴があります。
そして村の東側には天竜川が流れており、自然とその周辺が村内でもっとも標高の低いエリアとなっています。
また、JR飯田線はこの天竜川に沿うように走っており、川沿いの低地を通過しています。
2006年(平成18年)7月の豪雨
南箕輪村では、平成18年(2006年)7月に発生した集中豪雨が、近年で最も大きな自然災害として語り継がれています。
当時、南信地域を襲った豪雨により、南箕輪村でも大きな影響が出ました。
2006年7月15日未明から断続的に降り続いた雨の総雨量は500mmに達しました。
危険を察知した区・消防団などが連携し、土のうを積むなどの応急対応が行われました。
この災害の記憶は、今でも地域の人々のあいだでよく話題に上ります。
災害の経過(平成18年7月豪雨)
2006年(平成18年)7月、南信地域を襲った集中豪雨により、南箕輪村でも避難指示が出されるなどの対応が行われました。
7月18日
下段地域に対し、避難準備情報発令、その後 避難勧告 → 避難指示 へと段階的に引き上げ
7月19日
避難指示 から 避難勧告 に引き下げ、その後、避難勧告も解除
7月21日
斜面のひび割れが確認され、対象世帯に対して避難勧告 → 避難指示 を発令
7月22日
避難指示解除
避難指示の一例としては、「サブウェイ」より東側が立ち入り禁止となりました。
被害状況
住宅・事業所への浸水被害
- 床上浸水:1世帯
- 床下浸水:2世帯+9事業所
経済的被害
- 農畜水産物・農業用施設の被害:312,000円
- 商工関係の被害:13,167,000円
- 村道の復旧工事費:8,500,000円
- ※南箕輪村内では人的被害(死者・行方不明者)はありませんでした。
近隣自治体の被害状況(南箕輪村周辺)
一方で、近隣の自治体では甚大な被害が発生しています。
- 岡谷市:土石流により男女8名が死亡
- 辰野町:土砂崩れにより女性2人が死亡、復旧作業中に心不全で男性1人が死亡
- 諏訪地方全体:死者・行方不明者:11名、床上浸水:1,043棟
これは、広域的にも深刻な災害だったことを物語っています。
昭和36年の「三六災害」——南信地方最大級の水害
実は、平成18年の豪雨よりもさらに大きな災害が、過去に起きていました。
それが、昭和36年(1961年)の「三六災害」です。
発生状況
- 期間:昭和36年6月26日午前0時~6月30日午後2時
- 総雨量:長野県南部で500mm以上の豪雨
- 被害範囲:伊那谷全体で1万か所以上の土砂災害が発生
- 道路網は寸断され、多くの集落が孤立状態となりました
被害状況(南信全体)
- 死者・行方不明者:136名
- 浸水戸数:18,488戸
- 被害総額:1,130億円(113,000,000,000円)
南箕輪村での被害
- 家屋被害:2戸のみ
地域別の比較
平成18年の豪雨では諏訪地方が主な被災地でしたが、三六災害では飯田地方を中心に甚大な被害が集中しました。
南箕輪村は、地形や位置関係に恵まれていたため、いずれの災害でも比較的被害が少なかったといえます。
しかし、「被害が少なかった」という事実に油断せず、教訓として備えを続けることが大切です。
もっと昔の災害は?——伊那谷の自然災害ざっくり年表
伊那谷は古くから水害・洪水の多い地域として知られています。
過去の主な災害をまとめてみました:
年代 | 災害の概要 |
---|---|
701年8月 | 高遠で洪水 |
1624年4月 | 現・中川村で大水害 |
1696年6月 | 伊那谷に雪→洪水 |
1715年6月 | 「未の満水」——大水害 |
1719年8月 | 伊那谷に大洪水 |
1731年4・8・9月 | 「亥の川欠け」——連続洪水 |
1755年5〜8月 | 長雨→洪水 |
1838年4月 | 洪水 |
1868年5・7月 | 「辰の満水」——5月満水、7月大洪水 |
1907年8月 | 天竜川・小渋川が氾濫 |
1911年8月 | 1日で221mmの豪雨、死者9名 |
1950年6月 | 6日連続の降雨→洪水 |
1953年 | 台風・豪雨・長雨(1年のうち180日が雨!) → 堤防決壊・河川氾濫・田畑流出 |
1957年6月 | 大洪水 |
このように、歴史的にみても伊那谷は水害のリスクが高い地域です。
過去の災害を知ることで、「自分の暮らす土地の特性」や「今後の備えの必要性」が見えてきます。