信州伊那地域経営研究会の「南箕輪村はなぜ選ばれるのか。これからの地域経営とは」をテーマとした講演会に講師として参加してきましたので、その内容を掲載します。
話し言葉で村の人口増とこれからについてまとめた内容となっています。
-725x1024.jpeg)
南箕輪村がなぜ選ばれるのか。そしてこれからの地域経営をどう考えるのか
本日は「南箕輪村がなぜ選ばれるのか。そしてこれからの地域経営をどう考えるのか」というテーマでお話をさせていただきます。
このような機会をつくっていただいた関係者の皆様に感謝申し上げます。
さて、南箕輪村は長野県の中でもかなり珍しい村です。
多くの自治体が人口減少に直面する中で、南箕輪村は人口が増え続けてきました。
そして2020年と2050年を比較した際に人口が増加する全国77自治体のひとつに長野県で唯一選ばれています。
ただし、本日お伝えしたいことは、「南箕輪村は人口が増えています」「若い村です」「子育て世代に選ばれています」ということにとどまりません。
むしろ大切なのは、その次に何をするのか。これからの地域づくり、地域経営をどう進めていくのか、という点です。
本日は、南箕輪村がなぜ選ばれてきたのか。そして、これからも選ばれ続けるためには、地域の仕組みをどのように変えていきたいと考えているのか。
この2点を中心に、数字と私自身の経験を交えながら、お話しさせていただきます。
1 なぜ選ばれてきたのか
まず、南箕輪村の人口の話から始めます。
南箕輪村の人口増加は、最近急に始まったものではありません。
昭和40年、1965年の国勢調査では、南箕輪村の人口は6,146人でした。
それが、令和7年、2025年の国勢調査速報では16,000人となっています。
約60年で、人口は2.6倍、数で1万人増えました。
昭和45年から50年、つまり1970年から1975年にかけては、人口増加率が15.3%。
1975年から1980年にかけては15.6%。その後も、1985年から1990年、1990年から1995年、2010年から2015年にも県内トップの人口増加率を記録しています。
さらに近年でも、2015年から2020年にかけては、人口が15,063人から15,797人へ増え、増加率は4.9%でした。
つまり、南箕輪村は、ここ数年だけ人口増加が注目されている村ではありません。
昭和40年代から、60年もの長い時間をかけて、県内トップ級の人口増加を続けてきた村です。
直近の令和7年国勢調査では、南箕輪村の人口は16,000人となり、引き続き増加しました。これは大変ありがたいことです。
一方、増加率を見ると、2020年から2025年はプラス1.3%です。
2015年から2020年のプラス4.9%と比べると、明らかに増加の勢いは弱まっています。
私は今が重要な転換点だと捉えています。
この現実を見ずに、「南箕輪村は人口が増えているから大丈夫です」と言ってしまうと、将来に向けての判断を大きく誤ってしまいます。
例えば、いまから20年後に南箕輪村は75歳以上の方が600人増加します。村の4倍も人がいるみなさんの伊那市は何人増えると思いますか。答えは半分の300人です。
福祉の課題が増大することが見込まれる今から、次の地域づくり、地域経営を考えなければなりません。
令和7年の国勢調査の結果の分析をもう少し続けると、上伊那地域は踏みとどまりました。
2020年から2025年にかけて、上伊那地域の人口減少率はマイナス4.2%という結果でした。一方、長野県全体はマイナス4.5%です。
つまり、上伊那は人口が減ってはいますが、県全体よりは減少率が小さくなりました。
これまで上伊那は、県平均より厳しい数字が続いていましたが、今回初めて、県全体と比べて相対的に踏みとどまる形になりました。
南箕輪村が選ばれる理由も、村単独で完結しているわけではありません。
上伊那全体の産業、雇用、医療、教育、買い物、交通の中で、南箕輪村という暮らしの場が選ばれています。
では、なぜ上伊那の中で南箕輪村は選ばれてきたのでしょうか。
よく言われるのは、子育て支援です。これは間違いなく大きいです。
保育料の引き下げ、医療費の支援、相談体制、療育支援、学校給食、教育環境。
これらを積み重ねてきたことで、「子育てするなら南箕輪村」というイメージが広がりました。
ただ、昭和40年代からの人口増加を説明するうえでは、私は子育て支援だけでは内容が足りないと考えています。
もう一つ大きいと考えるのは、土地の価格です。
南箕輪村は、上伊那地域の中でも土地の価格が比較的低い水準にあります。
令和7年の全用途平均で見ると、伊那市は1平方メートルあたり25,533円、箕輪町は22,267円、宮田村は17,750円。これに対して、南箕輪村は16,033円です。
もちろん、土地が安ければ人が来る、という単純な話ではありません。
大切なのは、土地が比較的取得しやすいことに加えて、平地があり、中央自動車道の伊那インターが近く、上伊那の製造業を中心とした雇用があり、信州大学農学部をはじめとした教育機関があり、そして子育て支援の口コミがあることです。
これらが重なったことで、南箕輪村は「家を建て、子どもを育て、暮らし続ける場所」として選ばれてきました。
ここで、少し村の歴史にも触れたいと思います。
南箕輪村の中でも、特に西側、西箕輪に近い、南原地区などは人口増加率が高い地域です。しかし、もともとこの地域は、必ずしも暮らしやすい場所として開かれていたわけではありません。
水が乏しく、開発が遅れてきた地域でもありました。
扇状地の地形で、西側ほど水が地下にしみ込みやすく、生活に必要な水の確保に苦労した歴史があります。
ところが、昭和40年代以降、水の問題が解決し、上水道の整備が進みました。
すると、開発が遅れていたことが、逆に土地の余力を残す結果となりました。
そこに交通の利便性、雇用に加え、南部小学校の新設による子育て環境の向上が重なり、人口増加につながっていきました。
これは、とても面白い話で、昔の弱点が、時代が変わることで強みに変わったとも言えます。
水が乏しく、開発が遅れた地域。
それが、後の時代には、住宅を建てる余地のある地域になった。
そこに村が小学校を新設したことで、若い世代が家を建て、子育てをする場所になった。
地域づくり、地域経営のいい手本と捉えています。
今、弱みに見えているものも、時代が変われば強みに変わることがあります。
また、これも私が自慢することではないですが、信州大学農学部が村にあるのも、先人の村民が将来を見据えて、広大な土地を大学に寄付したことが大きな要因であります。
しかしながら、そんな過去が忘れられ、南箕輪キャンパスから伊那キャンパスに名称改称されたことは大変無念であります。
2 移住者の話
南箕輪村は、移住者の割合が73.3%とされています。
これは非常に高い割合です。
普通、移住というと、「地域に外から人が入ってくる」というイメージがあります。
そして、「地域が移住者をどう受け入れるか」という話になりがちです。
しかし、南箕輪村の場合は違います。
移住者が普通なのです。
73.3%が移住者ということは、南箕輪村は「よそ者を受け入れている村」ではなく、「移り住んだ人たちと一緒に地域をつくっている村」なのです。
これは、私自身の人生とも重なります。
私は9年前に南箕輪村に移住しました。
そして5年前に村長になりました。
東京で働き、家族の暮らしを考え、妻の実家のある上伊那に移り、南箕輪村を選びました。
もちろん、最初から、村長になろうとか、地域のために何かをしようと思って移住したわけではありません。
まず考えたのは、家族の暮らしです。
子どもたちを、のびのび育てたい。広い家で暮らしたい。
つまり、私は最初は家庭を向いていました。
このことを、私は隠す必要はないと思っています。
むしろ、これからの地域づくり、地域経営を考えるうえで、とても大事な視点です。
今の子育て世代、働き盛り世代は、まず家庭を守ります。
仕事があり、子育てがあり、介護があり、生活があります。
その中で、さらに地域活動をお願いします、役員をお願いします、無償でお願いします、夜も休日もお願いします、という形は、持続可能な仕組みではありません。
地域への愛着が薄れたからではなく、人が冷たくなったからでもありません。
暮らし方、考え方が変わりました。
共働きが当たり前になり、子育ての負担も大きくなり、親の介護もあり、物価も上がり、日本全体の国力の低下により、時間にも家計にも余裕が少なくなっています。
その中で、昔と同じ地域活動を同じ形で続けるのは、難しくなっています。
だからこそ、私はこれからの地域づくりは、「家庭を大切にする人が、それでも地域と関われる形」をつくることだと思っています。
ここを進めていかないと、個人主義が進行して、いずれ都市部のようにコミュニティが崩壊してしまう恐れがあります。
家庭を大切にしながら、地域にも関われる仕組みをつくる。
これが、これからの南箕輪村に必要な方向性です。
ここで、自治会の話をします。
南箕輪村では、持続可能な自治会のあり方を考えてきました。
自治会は、地域の基盤です。
災害時の助け合い、環境整備、地域行事、見守り、行政との連絡調整。
自治会が果たしてきた役割は非常に大きいものがあります。
一方で、課題もはっきりしました。
役員のなり手が少ない。
負担が重い。
集金や募金の取りまとめが大変。
高齢者の代替わりが高齢者のみの世帯の増加により難しくなった。
これを、精神論や文化、慣習だけで乗り越えるのは無理があります。
「昔はみんなやっていた」
「地域のためだから当然だ」
「無償でやるのが美徳だ」
もちろん、そうした思いによって地域が支えられてきたことは事実です。
そのことには、心から敬意を持っています。
しかし、これからも同じ形で続けられるかというと、かなり厳しい。
ここは、はっきり申し上げる必要があります。
これからは、無償ボランティアだけに頼る地域づくりから、有償の仕組みも組み合わせた地域づくり、地域経営へ変えていく必要があります。
これは、地域の心が失われるという話ではありません。
むしろ、地域を守るために必要な変化です。
無償でなければ地域貢献ではない、という考え方を変える必要があります。
草刈り、雪かき、見守り、イベントの運営、デジタル回覧板の支援、高齢者のちょっとした困りごと、子どもたちの体験活動、災害時の支援。
これらは、地域にとって必要な仕事です。
必要な仕事であれば、一定の対価があってよい。
むしろ、対価があることで、責任や関わり方が明確となり、若い世代や働き盛り世代も関わりやすくなります。
私は、これからの地域づくりでは、「地域貢献できる副業」という考え方が重要になると思っています。
本業を持ちながら、空いている時間に地域に関わる。
例えば、月に数時間、地域の事務作業を手伝う。
デジタルが得意な人が、自治会の情報発信を手伝う。
土木や建設の経験がある人が、地域の環境整備に関わる。
子育て経験のある人が、子どもの居場所づくりに関わる。
防災に関心のある人が、訓練や備蓄の確認に関わる。
こうした関わり方は、従来の自治会役員とは少し違います。
周り版で、決まった役を引き受ける。
会議に必ず出る。
すべての行事に参加する。
そういう形だけではなく、得意なことを、できる時間に、必要な分だけ地域に提供する。
そして、必要に応じて対価を受ける。
これをきちんと仕組みにしていくことが、これからの地域づくり、地域経営だと思います。
ここで大切なのは、地域との関わり方を一つに決めないことです。
もちろん、昔ながらに深く関わる人もいてよい。
青年を中心にイベントを毎年支える人もいてよい。
防災だけ、子ども関係だけ、デジタルだけ手伝う人もいてよい。
草刈りや環境整備だけ参加する人もいてよい。
これまでの地域づくりは、どちらかと言えば、「入るか、入らないか」「やるか、やらないか」になりがちでした。
しかし、これからは違うと私は感じています。
少しだけ関わる。
得意なことで関わる。
有償で関わる。
副業として関わる。
子育てが落ち着いたら関わる。
高齢になっても無理のない範囲で関わる。
このように、地域との関わり方を増やしていくことが大切です。
南箕輪村が選ばれてきた理由は、暮らしやすさにあります。
しかし、これからも選ばれ続けるためには、それだけでは足りません。
地域との接点がなければ、村は単なる住宅地になってしまいます。
行政として、今まで無償に近い形で実現できていた自治会活動がもたらしていた効果を維持するために、新たな予算、リソースを投下する、思い切った判断が必要です。
これまで培われた自治会の活動を維持していくことにどれだけ価値があるかと問われればどうでしょうか。
私は億単位のお金を投資しても、暮らしやすさの対価として成立する、住民にとって価値のあるものではないかと考えています。
これからも選ばれる村であるためには、選んでくれた人たちが、ここで長く幸せに暮らせる仕組みをつくること。
そして、その人たちが少しずつ地域に関わり、次の南箕輪村を一緒につくっていけること。それが、これからの地域づくりだと考えています。
今年度から村では、具体的事業として、まずは農地の草刈りを副業でおこなう仕組みをスモールスタートします。そして、自治会活動や福祉等に年々拡大していきたいと思います。
有償の地域貢献を広げる。
副業として地域に関われる仕組みをつくる。
家庭を大切にする人が、無理なく地域にも関われる形をつくる。
自治会を、負担の象徴ではなく、暮らしを支える柔らかな仕組みに変えていく。
これらの推進により、秩序ある個人主義を実現していきたい。そのためにこれからも真面目に汗をかいて頑張ってまいります。
本日は、ご清聴ありがとうございました。
-1024x1024.jpeg)
.jpeg)