地元企業グループから講演会の講師を依頼されましたので、僭越ながら登壇してきましたので、お話した内容を掲載します。
皆さま、こんばんは。南箕輪村長の藤城です。
本日は、「なぜ南箕輪村は選ばれるのか。人口増加の背景と、次への挑戦」というテーマでお話をさせていただきます。
まず、このような機会をいただきました関係者の皆さまに、心より感謝申し上げます。
さて、本日は、大きく3つの項目でお話しします。
1つ目は、南箕輪村はなぜ選ばれてきたのか
2つ目は、家庭が大事 これからの自治会施策
3つ目は、南箕輪村の今後のトピックとして、上伊那総合技術新校、信州松本トライデンツ、ブラメシ・クロフェスなどをご紹介できればと考えています。
自己紹介(省略)
南箕輪村は、長野県の中でもかなり珍しい村です。
多くの自治体が人口減少に直面する中で、南箕輪村は人口が増え続けてきました。
2020年と2050年を比較した時に、人口が増加すると推計される全国77自治体のひとつに、長野県で唯一選ばれています。
ただし、今日お伝えしたいことは、単に「南箕輪村は人口が増えています」「若い村です」「子育て世代に選ばれています」という話だけではありません。
むしろ大切なのは、その次です。
人口が増えてきた村が、これから何をするのか。
これからの地域づくり、地域経営をどう進めていくのか。
ここが、本日の一番大きなテーマです。
まず、人口の推移から見ていきます。
南箕輪村の人口増加は、最近急に始まったものではありません。
昭和40年、1965年の国勢調査では、南箕輪村の人口は6,146人でした。
それが、令和7年、2025年の国勢調査速報では16,000人となっています。
約60年で、人口は2.6倍。
人数でいえば、約1万人増えたことになります。
60年間の間、ほぼほぼ県内トップ級の人口増加率を記録しています。
つまり南箕輪村は、ここ十数年だけ人口増加が注目されている村ではありません。
昭和40年代から、60年という長い時間をかけて、県内トップ級の人口増加を続けてきた村なのです。
直近の令和7年国勢調査では、南箕輪村の人口は16,000人となり、引き続き増加しました。これは大変ありがたいことです。
一方で、増加率を見ると、2020年から2025年はプラス1.3%です。
増加の勢いは明らかに弱まっていますので、私は、今が重要な転換点だと考えています。
この現実を見ずに、
「南箕輪村は人口が増えているから大丈夫です」
と言ってしまうと、将来に向けた判断を大きく誤ります。
例えば、今から20年後、南箕輪村では75歳以上の方が何人増えると思いますか。
ちなみに人口が4倍の伊那市では300人、人口が1.5倍の箕輪町では100人増えるという推計が出ています。
答えは、およそ600人です。
人口規模は伊那市の方が大きいのに、75歳以上の増加数は南箕輪村の方が大きい。
これは、非常に重い数字です。
南箕輪村は若い村であり続けてきましたが、これからは高齢化への備えが一気に重要になります。福祉、医療、介護、移動支援、地域の見守り。こうした課題が大きくなることを見据えて、今から次の地域づくりを考えなければなりません。
企業の皆さんにとっても、高齢化に関連する需要が南箕輪村では着実に増えていきますので、意識していただければ大変助かります。
上伊那地域全体を見ても、南箕輪村が選ばれる理由は、村単独で完結しているわけではありません。
上伊那全体の産業、雇用、医療、教育、買い物、交通。
その中で、南箕輪村という「暮らしの場」が選ばれています。
では、なぜ上伊那の中で南箕輪村は選ばれてきたのでしょうか。
よく言われるのは、子育て支援です。
これは間違いなく大きな理由です。
保育料の引き下げ、医療費の支援、相談体制、療育支援
他の自治体に先行して、子育て支援の実績を積み重ねてきたことで、
「子育てするなら南箕輪村」というイメージが広がりました。
現時点では、上伊那の自治体は概ねどの自治体も手厚い子育て支援が行われています。
ただ、さきほどから説明しております、昭和40年代から続く人口増加を説明するには、子育て支援だけでは足りないと私は考えています。
もう一つ、大きな要因があります。それは、土地です。
南箕輪村は、上伊那地域の中でも土地の価格が比較的低い水準にあります。
令和7年の全用途平均で見ると、伊那市は1平方メートルあたり25,533円、箕輪町は22,267円、宮田村は17,750円。これに対して、南箕輪村は16,033円です。
もちろん、土地が安ければ人が来る、という単純な話ではありません。
大切なのは、土地が比較的取得しやすいこと。平地があること。
中央自動車道の伊那インターが近いこと。
上伊那の製造業を中心とした雇用があること。
信州大学農学部をはじめとした教育機関があること。
そして、子育て支援の口コミがあること。
これらが重なったことで、南箕輪村は、
「家を建て、子どもを育て、暮らし続ける場所」として選ばれてきました。
ここで、少し村の歴史にも触れながら、大成功した事例を説明したいと思います。
南箕輪村の中でも、特に西側、南原地区などは人口増加率が高い地域です。
しかし、もともとこの地域は、必ずしも暮らしやすい場所として開かれていたわけではありません。
なぜならばこの地域は水が乏しく、開発が遅れてきた地域でもありました。
扇状地の地形で、西側ほど水が地下にしみ込みやすく、生活に必要な水の確保に苦労した歴史があります。
ところが、昭和40年代以降、水の問題が解決し、上水道の整備が進みました。
すると、開発が遅れていたことが、逆に土地の余力を残す結果となりました。
そこに交通の利便性、雇用、そして南部小学校の新設による子育て環境の向上が重なり、人口増加につながっていきました。
これは、とても面白い話です。昔の弱点が、時代が変わることで強みに変わったとも言えます。
水が乏しく、開発が遅れた地域。それが、後の時代には、住宅を建てる余地のある地域になった。そこに村が小学校を新設したことで、若い世代が家を建て、子育てをする場所になった。
今、弱みに見えているものも、時代が変われば強みに変わることがあります。
大事なのは、その変化を見逃さず、次の一手を打てるかどうかです。
南箕輪村の小学校新設は私は素晴らしい1手であったと思います。
また、信州大学農学部が村内にあることも、南箕輪村にとって非常に大きな財産です。
これも偶然ではありません。実は、先人が将来を見据えて、村や村民の広大な土地を大学に寄付したことが大きな要因とお伺いしています。
これも過去に行われた、将来を見据えたすばらしい1手であると思います。
ただ、このような歴史や寄付行為が忘れられてしまい、南箕輪キャンパスから伊那キャンパスへ名称が改称されてしまったことは、前村長からは大変無念であったとお聞きしています。
とはいえ、信州大学農学部のキャンパスが村内にあることは、学生が800人ほどいるということ以上に、さまざまな恩恵があります。
学生がこの地域で複数年暮らすということは、見方を変えれば、その期間ずっと移住体験ツアーに参加しているようなものです。
上伊那地域は人が温かく、暮らしやすい地域です。そのため、大学生が卒業後もこの地域に残り、暮らしていく例は少なくありません。
さて、昭和40年代から県下一の割合で人口増加を続けてきた南箕輪村ですが、結果として様々な珍しい特徴をもった村になっています。
色々ある特徴の中でも特に珍しいと私が考えるのが移住者の割合が73.3%ということです。
4人に3人が移住者ですので、これは非常に高い割合です。
普通、移住というと、「地域に外から人が入ってくる」というイメージがあります。
そして、「地域が移住者をどう受け入れるか」という話になりがちです。
しかし、南箕輪村の場合は少し違います。移住者が普通なのです。
73.3%が移住者ということは、南箕輪村は、「よそ者を受け入れている村」ではありません。
「移り住んだ人たちと一緒に地域をつくっている村」なのです。
これは、実は私自身の人生とも重なっています。
私は9年前に南箕輪村に移住しました。そして5年前に村長になりました。
東京で働き、家族の暮らしを考え、妻の実家のある上伊那に移り、南箕輪村を選びました。
もちろん、最初から村長になろうとか、地域のために何かをしようと思って移住したわけではありません。
まず考えたのは、家族の暮らしです。子どもたちをのびのび育てたい。広い家で暮らしたい。
つまり、私は最初は家庭を向いていました。
このことを、私は隠す必要はないと思っています。
むしろ、これからの地域づくり、地域経営を考えるうえで、とても大事な視点であると思います。
今の子育て世代、働き盛り世代は、まず家庭を守ります。
共働きが当たり前になり、子育ての負担も大きくなり、親の介護もあり、物価も上がっています。時間にも家計にも余裕が少なくなっています。
その中で、昔と同じ地域活動を、同じ形で続けるのは難しくなっています。
「地域活動をお願いします」「役員をお願いします」「無償でお願いします」「夜も休日もお願いします」という形は、持続可能な仕組みではありません。
これは、地域への愛着が薄れたからではありません。
人が冷たくなったからでもありません。
暮らし方が変わりました。考え方が変わりました。
だからこそ、私はこれからの地域づくりは、
「家庭を大切にする人が、それでも地域と関われる形をつくること」
だと考えています。
ここを進めていかなければ、個人主義が進み、いずれ都市部のようにコミュニティが大変弱くなってしまう恐れがあります。
これからの自治会施策
家庭を大切にしながら、地域にも関われる仕組みへ
ここからは、これからの自治会施策についてお話ししていきたいと思いますが、みなさんも自治会活動に関わってこられた方、少なくないと思います。
ここで会場のみなさんにお聞きしますが、自治会に関わることで、苦労したこと、苦労していることがありますか?
いろいろな苦労がありますよね。
村では令和5年度から3年間の検討を重ねて、行政が自治会にお願いしている業務の削減を進めてきました。
具体的な事例としては、資源ゴミの立ち会い、広報誌の配布、出席会議の大幅削減そして募金の組織的集金の取りやめです。
また、自治会運営のガイドラインを制作して、自治会加入のメリットや変革を促す内容をまとめました。
例えば、みなさんのご家庭でも代替わりといって、ある程度年齢を重ねると、お父さんから息子さんに代替わりが行われてきたと思います。
人間は75歳を超えると自立度が下がっていくのは仕方がないころです。
そして現代は3世代同居が大変少なくなっており、昔のように代替わりができないんですよね。
そのため、役割を全うできなくなった真面目な高齢者の方が自治会を抜けてしまうという深刻な結果となりました。
これに対して、隠居などの制度をつくってはどうですか、といった内容がガイドラインでは書かれています。
また、よく言われるのが自治会に加入することにメリットを感じないという意見です。
時代の移り変わりにより、仕方のない面がありますが、ガイドラインでは日常のメリットではなく、非日常のメリットを中心にご説明したほうが、相手に納得感を与えることができるのではと提案しています。
これからの南箕輪村に必要なのは、
「家庭を大切にしながら、地域にも関われる仕組み」
をつくることだと思います。
自治会が果たしてきた役割は、非常に大きいものがありますが、課題もはっきりしてきました。
役員のなり手が少ない。
負担が重い。
集金や募金の取りまとめが大変。
高齢者のみの世帯が増え、代替わりが難しくなっている。
これを、精神論や文化、慣習だけで乗り越えるのは無理があります。
「昔はみんなやっていた」
「地域のためだから当然だ」
「無償でやるのが美徳だ」
もちろん、そうした思いによって地域が支えられてきたことは事実です。
そのことには、心から敬意を持っています。
しかし、これからも同じ形で続けられるかというと、かなり厳しい。
ここは、はっきり申し上げる必要があります。
これからは、無償ボランティアだけに頼る地域づくりから、有償の仕組みも組み合わせた地域づくり、地域経営へ変えていく必要があります。
これは、地域の心が失われるという話ではありません。
むしろ、地域を守るために必要な変化です。
無償でなければ地域貢献ではない、という考え方を変える必要があります。
必要な仕事であれば、一定の対価があってよい。
むしろ対価があることで、責任や関わり方が明確になります。
若い世代や働き盛り世代も、関わりやすくなります。
<スライド22>
私は、これからの地域づくりでは、
「地域貢献できる副業」
という考え方が重要になると思っています。
本業を持ちながら、空いている時間に地域に関わる。
デジタルが得意な人が、自治会の情報発信を手伝う。
土木や建設の経験がある人が、地域の環境整備に関わる。
子育て経験のある人が、子どもの居場所づくりに関わる。
防災に関心のある人が、訓練や備蓄の確認に関わる。
こうした関わり方は、従来の順番で、決まった役を引き受ける。
会議に必ず出る。すべての行事に参加する。
そういう形だけではなく、得意なことを、できる時間に、必要な分だけ地域に提供する。そして、必要に応じて対価を受ける。
これを仕組みにしていくことが、これからの地域づくりだと思います。
大切に考える視点として、地域との関わり方を一つに決めないことです。
もちろん。昔ながらに深く関わる人もいてよい。
青年を中心にイベントを毎年支える人もいてよい。
防災だけ、子ども関係、デジタルだけ手伝う人もいてよい。
草刈りや環境整備だけ参加する人もいてよい。
これまでの地域づくりは、どちらかと言えば、
「入るか、入らないか」
「やるか、やらないか」
になりがちでしたが、関わり方に濃淡があってよいと感じます。
そういう柔らかい仕組みに変えていくことが大切です。
南箕輪村が選ばれてきた理由は、暮らしやすさにあります。
しかし、これからも選ばれ続けるためには、それだけでは足りません。
地域との接点がなければ、村は単なる住宅地になってしまいます。
また行政としても大きな転換点を迎えていると感じています。
これまで無償に近い形で実現できていた自治会活動の価値を、改めてきちんと評価する必要があります。
これまで培われてきた自治会活動を維持していくことに、どれだけ価値があるのか。私は、非常に大きな価値があると考えており、村の予算は現在90億ですが、億単位のお金を投資しても、暮らしやすさの対価として十分に成立する。住民の皆さんにとって価値のあるものだと考えています。
今年度から村では、具体的な事業として、まず農地の草刈りを副業で行う仕組みをスモールスタートしています。
そして、今後は自治会活動や福祉分野などにも、少しずつ広げていきたいと考えています。
企業の皆さまから見ると、副業という言葉に、あまり前向きな印象を持たれない方もいらっしゃると思います。
実際、副業によって個人の幸福感が下がるという調査結果も出ています。
副業といっても様々ありますが、実は地域貢献型の副業についてだけは、幸福感が上昇するということも分かっています。
これは大事な視点です。
単に収入を増やすためだけの副業ではなく、地域とのつながりを持つ副業。
誰かの役に立っている実感がある副業。自分の暮らす地域を少し良くする副業。こうした関わり方は、働く人にとっても、地域にとっても大きな意味があると思います。
地域貢献型の副業を信頼性の高い行政が主導して実施していく。
家庭を大切にする人が、無理なく地域にも関われる形をつくる。
自治会を、負担の象徴ではなく、暮らしを支える柔らかな仕組みに変えていく。
これが、これからの南箕輪村の大きな挑戦です。モデル地区をつくって進めていきますので、新聞など経過を見守っていだければ幸いです。
ここからは、地域のこれからに関わる話題を3つ、短く紹介します。
1つ目は、上伊那総合技術新校です。
伊那北高校と伊那弥生ケ丘高校が、令和10年度から伊那高校として生まれ変わることは、皆さんもご存じのことと思います。
そして2034年、令和17年度には、南箕輪村の上伊那農業高等学校の場所に、工業、商業、農業が集約した上伊那総合技術新校が設置されることになりました。
現在の上伊那農業高校は、近年、地域との関わりを重視したカリキュラムによって、人気が高まっています。県内でも有数の地域と学びがつながっている学校であると思います。
伊那高校の卒業生が都市部に出ていく若者が多い中で、上伊那総合技術新校で学ぶ子どもたちは、将来この地域を支えてくれる人材が多く輩出されることは事実です。
それゆえ上伊那農業高校が培ってきた地域とのつながりを、上伊那総合技術新校になってもしっかり引き継いでもらいたいと願っています。ここにおそろいの地域の企業の皆さまにも、学校から声掛けや関わりがあればぜひ引き続き積極的なご協力をお願いいたします。
地域の人材を、地域で育てる。これは、これからの上伊那にとって非常に大切なテーマです。
2つ目は、信州松本トライデンツです。
VC長野トライデンツが2026年7月1日から、クラブ名は「信州松本トライデンツ」に変更されました。
VC長野トライデンツは、2008年に南箕輪村で誕生しました。
子育てに力を入れてきた南箕輪村で、ファンや地域の皆さんに支えられながら、赤ん坊の頃から少しずつ成長してきたチームです。
そして2026年、ちょうど18歳。
まさに成人を迎える年に、南箕輪村という小さな村から育ったチームは、松本市を巻き込み、信州全体を背負うチームへと成長しました。
ここまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
リーグのライセンス、選手の入れ替わり、主力選手の移籍、経営権の変更。
本当にいろいろなことがありました。
それでもトップリーグで戦い続けることができたのは、チーム、関係者、ファン、地域の皆さんの力があったからです。
今回のリブランディングは、南箕輪村から離れていくということではありません。
南箕輪村で育った力を土台に、さらに大きな地域を巻き込み、より高い舞台を目指していく挑戦です。
小さな村からでも、全国の舞台に挑戦できる。
そのことを示してくれた存在として、これからも南箕輪村は、信州松本トライデンツを応援していきたいと思います。
今年は外国人選手を4名補強し、上位食い込む可能性が最も高い年といっても過言でありません。パナソニックやサントリー、JTと日本の大手企業が支えるチームを村を拠点とするチームが打ち負かす、男子バレーは人気も高まっていますので、ぜひスポンサーになっていただく最高のタイミングかと存じますので、みなさんよろしくお願いいたします。
最後に、ブラメシ・黒フェスについてです。
南箕輪村には、大芝高原という大きな財産があります。そして、大芝高原を象徴するものの一つがアカマツです。
このアカマツが松ガレの危機にありまして、この危機から生まれたアイディアのひとつが、炭を活用し、ブラックな食べ物をたくさんつくる、村の魅力として発信しているのがブラメシです。
中学生議会でも、若い世代が関心を持てる商品やイベントを開催してほしいという声がありました。
ブラメシ・クロフェスでは、若い世代にも関心を持ってもらえるよう、ポップで楽しい仕掛けを取り入れています。
村の財産であるアカマツの価値を知ってもらうこと。
大芝高原を拠点に、面白いことを発信すること。
若い世代にとって、村の中に自分たちの居場所があると感じてもらうこと。
そして、子どもも、大人も、つくる人も、食べる人も。
歩くのがゆっくりな人も、声を出すのが難しい人も、少しだけ手助けが必要な人も。
同じテーブルを囲むように、同じ地域で自然につながっていくこと。
ブラメシ・クロフェスは、そうした南箕輪村らしい地域づくりを、楽しく、分かりやすく形にする取り組みだと考えています。
昨年は、原宿で人気のベビタピを招いた結果、朝から夜まで大芝高原まつりに負けないくらいの集客、特に若い世代が集ったお祭りになりました。
今年も9月6日に開催しますが、さらにビッグなゲストが来場予定となっています。お子さんやお孫さんが大変喜ぶことには太鼓判を押せますので、ぜひご来場をご検討ください。
おわりに
本日は、
「なぜ南箕輪村は選ばれてきたのか」
そして、
「これからの挑戦」についてお話ししました。
家庭を大切にする人が、無理なく地域にも関われる村。
若い世代が、自分たちの地域に誇りを持てる村。
そうした村を、これから皆さんと一緒につくっていきたいと考えています。
本日はご清聴いただき、誠にありがとうございました。
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