南箕輪村で最も古い公共施設である南箕輪小学校の改築の歴史をふりかえってみる

村長室の片付けをしていたら、南箕輪小学校百年誌という分厚い冊子が出てきたので、前々から気になっていた改築の歴史を振り返ってみました。

校舎が現存していない過去の話から

現在の場所に小学校が建築された歩みは、明治の時代にさかのぼります。

1901年(明治34年)9月30日、学校建築が竣工し、現在に続く学びの基盤が築かれました。

さらに1909年(明治42年)には増築が行われ、児童数の増加とともに学校は少しずつその姿を広げていきます。

やがて昭和に入り、1927年(昭和2年)には屋内体操場(体育館)が完成、1941年(昭和16年)には正門階段の整備や校庭の拡張が行われるなど、教育環境の充実が図られていきました。

1948年(昭和23年)には給食室が整備され、学校給食が本格的に開始されました。続く1950年(昭和25年)には給食調理場の上棟式が行われ、本校は学校給食指定校にも選ばれます。そして昭和29年からは完全給食が実施され、子どもたちの健康を支える体制が整いました。

児童数の増加も著しく、1951年(昭和26年)には木造2階建て約130坪の校舎が増築され、4教室が新たに加わりました。

当時、児童数は879人、18学級を数えており、地域の発展とともに学校も大きく成長していたことがうかがえます。

明治34年ごろの校舎平面図

鉄筋コンクリート3階建ての新校舎

こうした中、学校の大きな転機となったのが1956年(昭和31年)の中央校舎の全面改築です。

鉄筋コンクリート3階建て・24教室、約740坪の新校舎は、早稲田大学建築学博士である十代田三郎先生の設計によるものでした。

落成を記念して運動競技会が開かれ、野球やバレーボールが行われるなど、新しい学び舎の誕生は地域全体の喜びでもありました。

一方で、この工事に伴い旧理科室や給食関係室の取り壊しが進められ、給食が一時中断されるという一面もありました。

その後、1957年(昭和32年)には給食室・公仕室・宿直室が整備され、1958年(昭和33年)に給食施設が完成しました。

昭和35年ごろの校舎平面図

苦労したプール

1959年(昭和34年)にはプールが整備されましたが、小中学校共用であったため、利用面では課題も残りました。

1962年(昭和37年)には校庭の拡張と金網工事が行われ、あわせて小学校専用のプールも整備されました。

しかし、水源が湧水であったため水温の低さや衛生面の課題があり、1967年(昭和42年)には再整備が行われます。

ただしその際も浄化装置も長くは機能せず、設備更新の必要性が常に伴っていた時代でもありました。

校舎の近代化

昭和50年代に入ると、校舎の近代化がさらに進みます。

1975年(昭和50年)には北校舎が鉄筋コンクリート3階建て(1,276㎡、12教室)として改築され、より安全で機能的な学習環境が整いました。

続く1977年(昭和52年)には小中学校共同調理場(357.6㎡)が完成し、給食体制も効率的かつ安定したものへと移行していきます。

そして1982年(昭和57年)、学校は再び大きな節目を迎えます。

昭和2年に建てられた旧体育館をはじめ、南校舎や校長室、放送室が取り壊され、新たな体育館と南校舎が完成しました。

記念式典が行われるとともに、プールも整備され、学校施設は大きく刷新されました。

昭和57年の校舎平面図

今後の課題は古くなった中央校舎

中央校舎については、1956年の改修から70年が経過しようとしております。

校舎の年齢(2026年現在)

  • 中央校舎 1956年改築 70歳
  • 北校舎 1975年改築 51歳
  • 南校舎 1982年改築 44歳

おわりに

村では長寿命化の工事を北校舎、南校舎、そして中央校舎とここ5年間で実施していますが、次の改修工事のタイミングでは、中央校舎の年齢をみてみると、建て替えが視野に入っています。

80年が立て直しの目安期間とされており、村では毎年1億円の学校のための基金の積み立てを始めています。