幻の街道:春日街道の名前の由来とは

南箕輪村の村民にとって欠かせない道路といえば、春日街道ですが、その名前の由来はご存知でしょうか。

工事奉行の春日淡路守

春日街道は、慶長6年(1601年)に着工し、慶長13年(1608年)頃に完成したと伝えられています。

飯田城主・小笠原秀政の転封に伴い、松本と飯田を結ぶために整備された道であり、工事奉行を務めた春日淡路守の名がその由来と言われています。

従来の伊那街道より西側に築かれたこの道は、軍事・経済の両面で重要な役割を担っていたと考えられています。

大泉には宿場も整備され、約700メートルにわたり計画的に家屋が配置されるなど、当時としては大規模な事業でした。

やがて「幻の街道」となる

しかし、この街道は長く主要路として使われ続けたわけではありません。

深い森林の中を通る道であったため、昼でも暗く、盗賊が出ることもあったといわれています。

また、道順の不便さなどから宿場は北殿へと移され、役割は次第に変化していきました。

さらに、大泉では火災などにより古い記録が失われ、春日街道は「伝承と痕跡のみが残る道」となっていきます。

こうして、いつしか「幻の街道」と呼ばれるようになりました。

地形に刻まれた「並行する歴史」

現在の地形を見てみると、興味深い重なりが見えてきます。

・西側に中央自動車道
・その東側に西天竜水路
・さらに東に春日街道の痕跡
・そして、より東に古代の三州(伊那)街道

いずれも南北方向に、ほぼ等高線に沿って並んでいます。

時代は異なっても、人は同じ地形を選び、同じように道や水路を築いてきた。

その積み重ねが、現在の風景を形づくっています。

現在、そしてこれから

現在の春日街道は、バイパス整備などを経て、自動車が行き交う道路へと姿を変えました。

一方で、その下には、かつての宿場や人々の営みが確かに重なっています。

西天竜水路もまた、今なお地域を支え続けています。

おわりに

先に道があり、後に水が流れ、その両方が地域の暮らしを支えてきました。

春日街道と西天竜水路は、時代こそ異なりますが、どちらもこの地に生きた人々の知恵と営みの結晶です。

目に見えるものは変わっても、その重なりの中に、地域の歴史は確かに息づいています。

おわり

参考文献

  • 南箕輪の史跡の話
  • 南箕輪の史跡
  • 斜面環境山の辺の道 「2」中央自動車道と権兵衛街道